9月27日 gra書パート2
2011年9月27日
「gra書」 書家エピソード VO.25 日下部鳴鶴1838(天保9)-1922(大正11)
ここからは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。
最終回の今日は、近代、現代の書道家の中でも最も有名な、日下部鳴鶴(くさかべめいかく)をご紹介します。
この鳴鶴は、「日本近代書道の父」といわれています。
また、中林悟竹(なかばやしごちく)、そして、巌谷一六(いわやいちろく)と並んで「明治の三筆」とも呼ばれています。
もともとは武士だったんですが、江戸から明治に時代が変わった時に、明治政府の役人の仕事をするようになりました。
この時の鳴鶴の上司に当たる人が大久保利通だったんですが、利通はのちに暗殺されますね。この暗殺をきっかけに、鳴鶴は役人の仕事をやめて書家としての人生を歩みました。
書家になってからの鳴鶴は、3,000人の弟子を抱える人気の先生となって、字を書いてほしいという数多くの依頼を受けました。
一説には、文字を書いた石碑の数は1,000を超えるということです。
また、中国の書家とも交流を持って、日本の書道界のトップとして活躍しました。
さて、この日下部鳴鶴の書道の作品は、石碑に刻まれた文字や掛け軸に書かれた作品が大半で、楷書や隷書といった、割としっかり書かれた文字が多く残されています。
皆さんが目にするものの中で鳴鶴が書いたものとしては、日本酒の「月桂冠」のラベルの文字。
ゆったりとした雰囲気で書かれたあの3文字は鳴鶴の筆によるものです。
それから、富山県が所蔵している美術作品の中にも、鳴鶴のものがあります。
鳴鶴が書いた「霽月光風(せいげつこうふう)」の作品です。
ちなみに、霽月光風は、雨上がりの晴れた空にある澄んだ月が明るい爽やかな風と共にすっきりと見えるという状況を指していて、心が清らかでわだかまりがないことという意味があります。