ブログトップページはコチラ

8月23日 gra書パート2

2011年8月23日

「gra書」 書家エピソード VO.20 藤原佐理994(天慶7)-998(長徳4)

ここからは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。
先週は、平安時代の「三蹟」の1人、小野道風をご紹介しました。
今週は、同じく三蹟の1人、藤原佐理(ふじわらのすけまさ)をご紹介します。

平安時代の公卿でした。今でいう国務大臣クラスの役人でした。
京都をはじめ、大宰府にも赴いた経験を持っています。
その一方で、書道の実力の高さも認められていて、毎年秋に行われる新嘗祭の中で、天皇が詠んだ詩を屏風に書くという行事で、円融天皇、花山天皇、一条天皇の時代に実際に筆を執ったのがこの藤原佐理でした。

その藤原佐理ですが、大変お酒が好きな人で、そのお酒のために、悪い評判が広まったこともありました。また、仕事を怠けたり、常識を欠く行動をとったり、まあ、白い目で見られていたようです。

こんなエピソードがあります。
当時の関白藤原道隆(ふじわらのみちたか)に、ちょっとしたイベント事をするから、障子に筆で文字を書いて見せてほしいという依頼を受けました。
当日、お客さんがすでに集まっているにもかかわらず、佐理は会場にやってきません。
皆さんまだかまだかとイライラしています。
そうしているうちにだんだんお日様が高く昇って、そのときにようやく佐理が会場に登場しました。
佐理が書いた障子の文字はとても見事なものだったのですが、ルーズな行動にその場がしらけてしまって、佐理が大変恥をかいてしまいました。

こういったこともあって、平安時代の歴史本「大鏡」には、藤澤佐理を「如泥人(じょでいにん)」、だらしのない人物、と書かれています。

また「大鏡」にはこんなエピソードも書かれています。
先ほども出ました関白の藤原道隆が、京都に大きな御殿をつくりました。
この御殿の襖に和歌を筆で書くよう佐理に命じました。
しかし、ルーズな佐理、約束の時間に遅れてしまい、道隆の機嫌を悪くしてしまったそうです。

何ともぐだぐだな人だなぁというイメージを持ってしまう藤原佐理ですが、書道の腕は素晴らしいものでした。
佐理は、草書の名手として高い評価を受けています。
実際に彼が書いたものも、草書で書かれたものが多いです。
その中でも代表的な物の1つに、「離洛帖(りらくじょう)」があります。

img_1045.jpg 

これは、藤原佐理が京都から太宰府へ赴く際、当時摂政だった藤原道隆に、出発前に挨拶をするのを忘れてしまったため、妹の息子、甥っ子の藤原誠信(ふじわらのさねのぶ)に、道隆に挨拶に伺うのを忘れてごめんなさいと伝えておいてほしいということを依頼した、いわゆる詫び状です。
動きのある草書で一気に書きつづられた文字が特徴的です。
この離洛帖をはじめ、藤原佐理の文字には、流麗で躍動感があることから、「佐蹟(させき)」と呼ばれることもあります。
なお、この離洛帖は、国宝となっています。東京の畠山記念館に所蔵されています。

takanobu827 9:33 am