8月16日 gra書
2011年8月16日
今月は、かなについてご紹介しています。
先週は、かな文字を書く基礎的な方法についてご紹介しました。
今週は、本格的な仮名文字を見てみます。
一般的に書道で扱われているかな文字は、平安時代に書かれたとされるものが主流です。
このころ、貴族の男女の交際は、手紙のやり取りが主なもので、男性も女性も手紙を書くときはひらがなで書いていました。
また、手紙の中に和歌を添えることもはやりとなっていたことから、ひらがなをかな文字として用いることが一気に広まりました。
そんな中から、当時の貴族が詠んだ和歌を集めた「和歌集」ができるようになりました。
この和歌集を書き写したものの中から、かな文字の名品がいくつも生まれています。
たとえば、「高野切(こうやぎれ)」、「古今和歌集」を書き写したもので、「高野切」という名前は通称です。
これは、古今和歌集の内容を研究する上で、そして日本の書道を学ぶ上で極めて重要な作品とされています。
高野切の一部を臨書したものです。
なぜ「高野切(きれ)」という文字がついているのかといいますと、
まず、もともとこのような仮名の作品は巻物か本のように仕立てられているのですが、それを切り離して、掛軸に仕立てたりアルバムに貼り込んだり、1つ1つじっくり鑑賞するために使われていたので「○○切」と呼ばれています。
そして、この高野切は、のちに高野山に伝えられたというところから「高野切」と呼ばれています。
ちなみに、この高野切は「第一種」「第二種」「第三種」がありまして、それぞれ書いた人が違うとされています。なお、この現物は、一部ですが大阪の湯木(ゆき)美術館が所蔵しています。
他に「○○切」と呼ばれるかな文字の作品でいいますと、小野道風(おののとうふう)が書いたと伝えられる「本阿弥切(ほんあみぎれ)」があります。
こちらは、本阿弥切の一部を臨書したものです。
これは、江戸時代の書家本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が一部分を持っていたということから「本阿弥切」と呼ばれています。
これも「古今和歌集」を書き写したものです。
「○○切」と呼ばれるもの以外に仮名の作品として残されているものに、「○○色紙」と呼ばれるものがあります。
これは、和歌の1首 1首が1枚の小さな紙に書き写されているもので、これ1枚で鑑賞できるものになっています。
「古今和歌集」を書き写したとされる「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」、これは、織田信長の家臣で茶人の佐久間実勝(さくまさねかつ)の茶室「寸松庵」に残されていたということで、「寸松庵色紙」と呼ばれています。
「土佐日記」で有名な紀貫之が書いたとされているもので、かなの作品の有名なものとして残されています。
それから、「升色紙(ますしきし)」、こちらは平安時代の歌人、清原深養父(きよはらのふかやぶ)が詠んだ和歌を書き写したもので、紙が升の形になっていたというところから「升色紙」と呼ばれています。
なお、清原深養父は百人一首に1つ和歌を残しています。
「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ」という歌です。聞いたことがあるでしょうか。
そしてもう1つ「継色紙(つぎしきし)」というものもあります。
これは、「古今和歌集」や「万葉集」などの歌を、本でいう2ページにわたって1首が書かれているものです。
この「継色紙」は、和歌を上から下までびっしり書く書き方ではなく、2ページの紙の空間を生かして何文字かずつ行を替えてばらすように書かれていることから、「ちらし書き」とも呼ばれていて、現在の展覧会で大きなかな文字の作品を書く際の大元ともされています。
この「寸松庵色紙」「升色紙」「継色紙」の3つを合わせて「三色紙」と呼ばれていて、かな文字の名品とされています。
次回はこのかな文字をもう少し詳しく観てみます。