7月5日 gra書 パート2
2011年7月5日
「gra書」 書家エピソード VO.13 懐素(かいそ) 725?-785?
ここからは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。
第13回の今回は、懐素を紹介します。
この懐素は、僧侶です。幼いころ仏門に入って、その後長安に移り住んで、
三蔵法師(さんぞうほうし)として有名な玄奘(げんじょう)に弟子入りしました。
懐素は、修行の合間に書道を勉強していたのですが、生活が裕福ではなかったので、芭蕉をたくさん植えてその葉っぱを紙の代わりにして使ったり、それがなくなると大きな皿や板を紙の代わりに使って練習したとされています。
また、練習量の多さに使えなくなった筆が山のようになったので、筆塚を作って供養したとも言われています。
もともと懐素は、草書の実力があるということで地元では知られていましたが、
その後広く知られるようになって、
当時の社交界で、様々な名士から彼の書道を賞讃する内容の詩・漢詩をもらうようになりました。
昔の日本で貴族が相手に和歌を送った感じで、懐素の書の素晴らしさを漢詩という形でお墨付きを与えたということになりますかね。
そして、以前このコーナーで紹介した顔真卿(がんしんけい)と面会して、多くの名士から書に関する賞讃をもらった漢詩の序文・冒頭の文章を書いてほしいとお願いして、書いてもらうことができました。
この序文は、「懐素上人草書歌序(かいそしょうにんそうしょかじょ)」と呼ばれていて、顔真卿に、書道が素晴らしいとお墨付きをもらった文章として、懐素の実力をうかがわせる作品とされています。
と、ここまで紹介すると、懐素って、何て素晴らしい書家なんだろう、と思います。
が、ここからが、懐素の書家としてのすんごいところです。
この懐素、草書で有名な書家とお話ししました。
彼の書く字は、王羲之(おうぎし)や前回紹介した孫過庭(そんかてい)のような割とかっちりしたものではありません。風まかせのような自然な流れを重んじたところから、一瞬何て字を書いているか判別に苦しむこともある、自由奔放な字の書き方をしています。
その書き方から、俗に「狂草(きょうそう)」と呼ばれていました。
ですが、この狂草も、王羲之の書をベースにしているので、100%オリジナルというわけではありません。全く読めないということはないです。
そして、僧侶ではありますが、お酒が大好きです。不謹慎な!と思われるかもしれませんね。
それでもって、お酒を飲んで酔っ払うと、それこそ、紙で物足りず、部屋にある壁やらふすまやら垣根やら、あたりかまわず筆を持って字を書きまくったのです。懐素の家に行くと、家の中が文字だらけでびっくりした!ということもあったかもしれません。
そんな懐素の代表作に「自叙帖(じじょじょう)」があります。
彼の狂草とはこんなものだというのを端的に物語る作品で、かつ、自分がこれまでどんな書道の勉強をしてきたかというのを、ほかの名士が賞讃した詩の内容も用いて書き記した、自己アピール文でもあります。
高原兄さん風に言うと、「俺ってグレイト?」ということです。
なんと大それたことを書いたんでしょうか。
やはりこれを書いたときは、飲んだくれていたんでしょうか。
1230年以上たった今、改めて彼の酒癖に心配してしまいます。
懐素の「自叙帖」を臨書しました。この部分「激切理識玄奥」と書かれています。
ぱっと見、何て書いてあるのか、分かりませんね。
そして、これをまねて書くのは、難しいです。
これだけの線の動きをなめらかに、というのは、かなり練習しないとできません。