6月28日 gra書
2011年6月28日
今回は、「顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)」をじっくりと見ます。顔に彼氏の氏、家、先祖をまつる場所の廟に石碑の碑と書いて、顔氏家廟碑です。
まずは基本データから。顔氏家廟碑を書いたのは、以前番組でもご紹介した、顔真卿です。王羲之と並ぶ有名な書家です。西暦780年に作られた石碑に刻まれている文字で、楷書で書かれています。この顔氏家廟碑は、顔真卿が、当時もう亡くなっていますがお父さんのために廟、ご先祖様を祀る場所をつくって、石碑を建てて、彼のご先祖様がこれまでどんなことを行ってきたのか、その内容を記録としてを綿々とつづったものです。この石碑は、現在も、中国の西安という場所にあります。もともと顔真卿のご先祖様もお役人として活躍していて、書道の腕前も良かったといわれています。それもあって、先祖の履歴をまとめることになったのかもしれません。
さて、顔氏家廟碑の文字ですが、正方形かやや横長の四角形に収まるような書き方をされていて、ちょっと丸っこい感じの形をしています。そして、線が1本1本肉厚で、ぱっと見た感じどっしりとしたイメージを与えます。どちらかというと、文字の横の線よりも縦の線を太めに、強調して書かれています。
顔氏家廟碑を臨書してみました。
そして、この顔氏家廟碑、ほかの楷書の作品にはない、独特の特徴を持っています。
まず、はねの部分、ふつう「はね」を書くときは、はねる部分のところまできたら筆の動きを止めて、はねる方向に筆の角度を変えてからそのままはねますね。この顔氏家廟碑の「はね」はちょっと違うんです。
どうやるか。はねる部分のところまできたら筆の動きを止めます。ここまでは同じです。そして、はねる方向へ筆の角度を変えてそのままはねるのではなく、筆の角度を変えて、それから、筆先を若干上に戻しながらはねます。はねる部分の下にちょっとしたこぶのようなものができて、その上に、燕尾服の後ろのようにぴょこっと出ているような感じではねられている状態、これが、顔真卿の楷書に見られる独特のはねです。
もう1つ独特の書き方があります。それは、右はらいの部分。右はらいは、徐々に線を太くして、そこから右に筆先をそろえるようにはらう、というのが右はらいの基本です。
顔氏家廟碑の右はらいは、書き始め、起筆の部分でいったん小さく丸をつくるように点を打ちます。そこで筆のエネルギーをためるようにしてから、ひらがなの「へ」を小さく書くような感じで右はらいを書き出して、徐々に線を太くしていきます。そこから、そのまま筆先をそろえるようにはらうのではなく、線の半分から上の部分だけ、筆先をそろえるようにはらいます。これも、よく見ると、燕尾服の後ろのような感じになっています。
先ほどはねの部分でも燕尾服の後ろっぽいといいましたが、このような形から、俗に顔真卿が書く楷書の文字は、「蚕頭燕尾(さんとうえんび)」、頭は蚕のようで、尾っぽは燕のようだといわれています。
そして、顔真卿の楷書のような文字の書き方を、顔真卿の苗字「顔」に法律の法をあわせて、「顔法(がんぽう)」と呼んでいます。それまでの王羲之の文字の書き方が、車のマニュアル車の運転と例えれば、顔真卿の文字の書き方は、オートマ車の運転と例えていいかと思います。それくらい、当時としては画期的な文字の書き方だったわけです。
この書き方「顔法」は、今ご紹介した「顔氏家廟碑」のほかにも、「顔勤礼碑」「多宝塔碑」など、彼が書いた楷書の文字にも見られます。また、のちの時代の書家で、顔法を用いた作品を残した人が何人も出ています。