6月7日 gra書 パート2
2011年6月7日
「gra書」 書家エピソード VO.9 鄭道昭(ていどうしょう) ?-516
ここからは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。
9回目の今回は、鄭道昭を紹介します。
この方は、中国の南北朝時代、日本では、聖徳太子の前、古墳時代に活躍した書家です。日本で丸やカギ形のようなお墓を一生懸命作っていた時代に、中国では文字が書かれていたわけですから、中国4,000年の歴史はすごいな、と改めて感じますね。
さて、鄭道昭、中国の魏という国で、日本でいう国立図書館の館長を務めていました。この人のお父さんもお役人で、日本でいう官房長官あたりの職を務めていたそうです。いわゆる名家の出身です。その鄭道昭が、国会図書館の館長を務める前、いわゆる地方長官を務めていたころに、積極的に書道の作品を書き上げていました。その中で最も有名なのが、「鄭羲下碑」です。
この鄭羲下碑は、いわゆる楷書で書かれた作品です。ふつう、筆で文字を書くと、書き始めの部分は、ノミのようにとがった形をしていますが、この鄭羲下碑の文字は、先が丸く書かれています。まるで、マジックで文字を書いたような線で、途中で線の太さが大きく変わるような様子は見られません。数多くの書道の作品の中でも珍しい特徴の文字ですが、この鄭羲下碑が書かれたとされる、西暦511年ごろは、マジックで書いたような文字で書かれたものがいくつも存在していて、当時の流行だったのではないか、ともされています。なお、この鄭羲下碑のような線を、円の筆と書いて「円筆(えんぴつ)」と呼びます。これに対して、一般的に線の形が角ばったものを、方向の方に筆と書いて「方筆(ほうひつ)」と呼びます。
ちょっとまるい線ですね。
ところで、この鄭羲下碑、とは別に、鄭羲上碑と呼ばれるものも存在します。どちらも内容はほとんど同じで、鄭道昭の父親、鄭羲の功績をたたえる内容が書かれています。では、上と下の違いはというと、文字が刻まれた場所の違いです。上碑は、天柱山と呼ばれる山にある石に刻まれたもので、下碑は、雲峰山という山にある石に刻まれたものです。最初天柱山に文字を刻んだのですが、状態が悪いため、雲峰山でよい場所を見つけてもう1度同じものを刻んだということです。それもあって、鄭羲上碑よりも鄭羲下碑の方が評価が高いです。
と、ここまでお話しすると、なんと孝行息子なんだ鄭道昭は!と思われるでしょうが、実際のところ、本人はそうでもなかったようです。というのも、父親の鄭羲は才能はあるのですが、政治家としてはだらしないところがあったそうで、鄭道昭自身は、あんな人にはなりたくないと、父親とは違った生き方をしたんだそうです。それもあって、彼にはものすごく厚い信望を民衆から集めていたそうです。