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6月28日 gra書 パート2

2011年6月28日

「gra書」 書家エピソード VO.12 孫過庭(そんかてい) 648?-703?

12回目の今回は、孫過庭です。
今まで紹介してきた書家は、中国のお役人の中でも高級官僚と呼ばれるような職に就いた人が多かったのですが、この孫過庭は、中国のお役人ではあったものの、位の高い役人ではなかったとされていて、どのような生涯をたどったのか、はっきりしない部分が多いとされています。一説には、孫過庭はとても忠実な人柄であったこと、しかしその一生は不遇であったこと、40歳で仕官・お役人の仕事についたものの、讒言(ざんげん、他人の告げ口)にあってやめさせられ、そののちは貧窮と病弱の中で努力し続けましたが、志を遂げないうちに急病で亡くなってしまったということが伝えられています。
そんな、人生としては幸せとは言えなかった孫過庭ですが、書道に関しては、歴史に残るほどの脚光を浴びています。その中でも際たるものが「書譜(しょふ)」です。これは、書道の作品としても高い評価をされているのと同時に、内容や書道に関する論評としてもやはり評価の高いものです。

img_0304.jpgimg_0306.jpg 書譜を臨書してみました。
まず、作品の方から見ていきます。書譜は、草書で書かれています。草書で書かれた作品の中で、名品とされているものはそれほど多くないのですが、その中でもこの書譜は、王羲之が書いた「十七帖」と並ぶほど、草書の勉強をするうえで学びたい作品とされています。一方、内容は、古人の書の品評や書道の歴史、書道の技術的な部分に関する解説、また書を勉強する方法の研究などがあります。具体的にどんなことが書かれているか一部紹介しますと、楷書と草書は、文字を形作ることと筆の動きのリズムという関係では正反対の書体ですが、文字を書く上での本質的な部分では相互に関係し合っています。ちょっと難しいですね。筆で文字を書くときは、文字を形作ることと筆の動きのリズムというのはなくてはならない要素ですが、この2つ、どっちに重きを置くか、文字の形を優先させようとすれば楷書が書きやすいし、筆の動きのリズムを重視すれば草書が書きやすくなる、というふうに、形とリズムのウェイトの差で楷書を特徴づけたり草書を特徴づけたりするということです。また、歴史上において、それぞれの時代には時代にあった特質がある。質朴さを尊ぶ時代もあれば、現代のような華やかさを尊ぶ時代もある。それはそれでよい。つまるところ、これからの書道は、古の時代の質朴さと現代の華やかさ、いずれにも偏らない、調和の世界を求めればよい、ともあります。これは、伝統書法と現代感覚との調和にはっきりと言及しているところで、孫過庭の時代感覚がうかがわれます。今の書道界は、古典と呼ばれる昔の素朴な書道を基本として学び、そこからいかに現代の感覚を取り入れて自分の作品というものを作り上げていくか、これを求めて日々精進しています。孫過庭の書譜ですでにそのようなことが書かれているということは、1300年ほど前から、書家がやっていることの本質は、同じということなんです。それをすぱっと言い切った孫過庭は、やはり素晴らしい書家と言えるのではないでしょうか。

takanobu827 9:02 am

6月28日 gra書

今回は、「顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)」をじっくりと見ます。顔に彼氏の氏、家、先祖をまつる場所の廟に石碑の碑と書いて、顔氏家廟碑です。
まずは基本データから。顔氏家廟碑を書いたのは、以前番組でもご紹介した、顔真卿です。王羲之と並ぶ有名な書家です。西暦780年に作られた石碑に刻まれている文字で、楷書で書かれています。この顔氏家廟碑は、顔真卿が、当時もう亡くなっていますがお父さんのために廟、ご先祖様を祀る場所をつくって、石碑を建てて、彼のご先祖様がこれまでどんなことを行ってきたのか、その内容を記録としてを綿々とつづったものです。この石碑は、現在も、中国の西安という場所にあります。もともと顔真卿のご先祖様もお役人として活躍していて、書道の腕前も良かったといわれています。それもあって、先祖の履歴をまとめることになったのかもしれません。
さて、顔氏家廟碑の文字ですが、正方形かやや横長の四角形に収まるような書き方をされていて、ちょっと丸っこい感じの形をしています。そして、線が1本1本肉厚で、ぱっと見た感じどっしりとしたイメージを与えます。どちらかというと、文字の横の線よりも縦の線を太めに、強調して書かれています。
img_0302.jpg 顔氏家廟碑を臨書してみました。

そして、この顔氏家廟碑、ほかの楷書の作品にはない、独特の特徴を持っています。
まず、はねの部分、ふつう「はね」を書くときは、はねる部分のところまできたら筆の動きを止めて、はねる方向に筆の角度を変えてからそのままはねますね。この顔氏家廟碑の「はね」はちょっと違うんです。
どうやるか。はねる部分のところまできたら筆の動きを止めます。ここまでは同じです。そして、はねる方向へ筆の角度を変えてそのままはねるのではなく、筆の角度を変えて、それから、筆先を若干上に戻しながらはねます。はねる部分の下にちょっとしたこぶのようなものができて、その上に、燕尾服の後ろのようにぴょこっと出ているような感じではねられている状態、これが、顔真卿の楷書に見られる独特のはねです。

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もう1つ独特の書き方があります。それは、右はらいの部分。右はらいは、徐々に線を太くして、そこから右に筆先をそろえるようにはらう、というのが右はらいの基本です。  
顔氏家廟碑の右はらいは、書き始め、起筆の部分でいったん小さく丸をつくるように点を打ちます。そこで筆のエネルギーをためるようにしてから、ひらがなの「へ」を小さく書くような感じで右はらいを書き出して、徐々に線を太くしていきます。そこから、そのまま筆先をそろえるようにはらうのではなく、線の半分から上の部分だけ、筆先をそろえるようにはらいます。これも、よく見ると、燕尾服の後ろのような感じになっています。

img_0291.jpgimg_0292.jpgimg_0293.jpgimg_0294.jpgimg_0295.jpgimg_0296.jpgimg_0297.jpgimg_0298.jpg
先ほどはねの部分でも燕尾服の後ろっぽいといいましたが、このような形から、俗に顔真卿が書く楷書の文字は、「蚕頭燕尾(さんとうえんび)」、頭は蚕のようで、尾っぽは燕のようだといわれています。
そして、顔真卿の楷書のような文字の書き方を、顔真卿の苗字「顔」に法律の法をあわせて、「顔法(がんぽう)」と呼んでいます。それまでの王羲之の文字の書き方が、車のマニュアル車の運転と例えれば、顔真卿の文字の書き方は、オートマ車の運転と例えていいかと思います。それくらい、当時としては画期的な文字の書き方だったわけです。
この書き方「顔法」は、今ご紹介した「顔氏家廟碑」のほかにも、「顔勤礼碑」「多宝塔碑」など、彼が書いた楷書の文字にも見られます。また、のちの時代の書家で、顔法を用いた作品を残した人が何人も出ています。

takanobu827 9:02 am