6月14日 gra書 パート2
2011年6月14日
「gra書」 書家エピソード VO.10 鍾ヨウ(しょうよう、ヨウは、搖の右側の古い字体に、系列の系を組み合わせた文字) 151-230
10回目の今回は、ショウヨウを紹介します。漢字で書くとちょっと難しいです。ショウは、金へんに重い軽いの重いと書きます。ヨウは、揺れるという感じの古い書き方の右側、夕方の夕にもう1つ点を加えて、その下に缶詰の缶、これが左側の部分で、右側は、系統の系と書きます。
さて、このショウヨウ、いわゆる三国志の時代に生きた人です。当時は魏、呉、蜀と3つの国に中国がわかれて領土争いを行っていました。ショウヨウはのちの魏の国の人です。で、彼は文官を務めていました。いわゆる国の官僚です。当時魏の国をつくろうとの将軍として活躍していた曹操につかえていましたが、正式に「魏」の国ができあがると、今でいう総理大臣に就任して国を支えたということです。のちに、「ショウヨウなくば、魏ならず」と言われました。
このショウヨウは、楷書の祖とも言われています。つまり、ショウヨウが活躍する時代の直前までは、おもに隷書が公の文字として利用されていました。そんな中でショウヨウは、独自のショウヨウ体という文字をつくりだしました。この文字は、隷書と楷書の中間にあたる形で、のちの王羲之など様々な書家が、楷書を学ぶ上での基礎としていました。今も、多くの書家がこのショウヨウ体を学んでいます。
この文字は、全体的にコロンと丸みを帯びていて、ところどころ線の書き方や形が、楷書と比べると中途半端になっているのが特徴です。本当に、隷書から楷書への過渡期であるというのがうかがえる文字です。このショウヨウが書いたとされる作品がいくつか残されていますが、有名なモノの1つに「薦季直表(せんきちょくひょう)」があります。これは、ショウヨウが、季直という人物を役人に推薦するために皇帝に奉った上表文です。のちに様々な書家がこれを大切に保管して、現在に残されています。
薦季直表には、楷書の要素と隷書の要素が入り混じった文字が書かれています。
ところで、このショウヨウ、こんなエピソードが残されています。
その1 寝床でも指を動かして文字の練習をしていたために、布団に穴があいてしまった。
その2 離縁した妻と復縁するよう、皇帝から勅命が下りました。これだけでもすごいことです。ですが、何で皇帝がそんなことのために勅命を出すのかと激怒して、山椒を食べて口がきけないようにしてしまったので、皇帝が勅命を取り下げた。
やることが半端じゃないことは、確かなようです。