5月31日 gra書 パート2
2011年5月31日
「gra書」 書家エピソード VO.8 チョ(衣偏に者)遂良(ちょすいりょう) 596-658
ここからは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。
今回は、中国人の書家です。チョ遂良です。この人は、以前ご紹介した、虞世南、歐陽詢と並んで、「初唐の三大家」と呼ばれた書家です。
本当の職業は、中国のお役人です。地方で、日本でいう県知事などを務めた後中央に進み、当時の太宗皇帝に認められてとんとん拍子に出世しました。一時期は、当時の貴族の子供たちを教育する大学の教授を務めました。先ほどの虞世南や歐陽詢の後を継ぐ形ということですね。そのチョ遂良、最終的には、今の日本でいう閣僚にまで昇進しました。ですが、太宗皇帝の後を継いだ高宗皇帝が、則天武后を皇后にしようとしたことに反対したため、左遷されて、最終的には、現在のベトナム中部まで流されてしまいました。
このチョ遂良に関して、こんなエピソードが残されています。
太宗皇帝は、在任当時、KING OF 書家の王羲之が書いた文字を大変好んでいて、様々なものをコレクションとして集めていました。ですが、王羲之が生きていた時代と太宗皇帝が生きていた時代では200年以上の開きがありました。集めたものがすべて本物であるという保証はありません。そこで、本物かどうか鑑定する仕事をチョ遂良が行っていたそうです。彼の前には、虞世南がこの仕事を行っていましたが、その数は2,290点を超えるものでした。今、様々なお宝を鑑定するお店もありますが、2,300近くのものを鑑定するのは、簡単な仕事ではなかっただろうと思います。
さて、このチョ遂良、書道の面では、楷書と行書で今に残る作品を残しています。その中でも最も有名なのが、「雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうのじょ)」です。これは、楷書で書かれたもので、チョ遂良最高傑作とも言われています。虞世南の書はやわらかく伸びやかで、歐陽詢は引き締まった端正な作りの文字ですが、雁塔聖行序に書かれているチョ遂良の文字は、軽やかで華やかさを感じさせるものとなっています。ここには、玄奘という僧侶が、インドから、苦難の末に仏教の経典を持ち帰ってそれを広めた功績をたたえる内容が記されています。
ちなみに、玄奘という僧侶、またの名を「三蔵法師」と呼んでいます。そうです、あの「西遊記」の三蔵法師のモデルです。西遊記に描かれている三蔵法師は、生まれる前に父を殺され、母を奪われて川に流される、という生い立ちとなっていますが、玄奘本人はこのような人生は歩んでいないそうです。
なお、三蔵法師は、釈迦が説いたとされる教えをまとめた経蔵、規則や道徳・生活用荘などをまとめた律蔵、経蔵・律蔵の注釈や解釈などをまとめた論蔵の3つに精通した僧侶を指しますが、最も有名なのが、玄奘です。ちなみに、三蔵は、サンスクリットとも呼ばれます。