今朝の新聞を見ていますと、給食費の未納がおよそ99,000人、総額およそ22億円に上るという記事が書かれていました。この話は、今朝の番組の中でもしました。
ちなみに、富山県内では、未納額が548万円になるそうです。
学校給食に限らず、食べ物に対する考え方の甘さは、あきれるばかりです。公共広告機構のCMのテーマにも取り上げられたことがありました。
「お金を出しているから、”いただきます”と言う必要はないと言う親がいます。」
飽食の時代と言われて久しい日本ですが、それがかえって食に対する意識を失わせたのでしょうか?
今朝の番組で、「新年会につくしの和え物が出て、今の時期ではなかなか見つからないつくしにびっくりしたのと、それを探して料理にしていただいたお店にありがたいナァと思い、舌鼓を打ちました。」とコメントしましたが、
そういった旬のものや地のもの、そして、たまたま見つかった食材、こういったものに対する関心は、ないのでしょうか?そして、食事を作っていただいたという感謝の気持ちはないのでしょうか?
かの服部幸應さんは、「いただきます」「ごちそうさま」のあいさつについて、「東京では親が『給食費を払っているのに何で言わないといけないのか』と文句を言った人がいるという。私たちは動植物の大切な生命をいただいている。ご馳走は四方を探し歩いて得られたものであり、あいさつをするのは感謝の気持ちを伝える上で当然。話を聞いて悲しくなった。」と、ある講演の中で話しています。
食べ物があって当たり前の中にいるからこうなるのかもしれません。そういう人たちは、おいしいものを食べる資格があるでしょうか?
ちなみに、お米1粒を作るのに、富山ですと、半年ちょっとかかります。指先に乗るような大きさでもそれだけの時間が必要です。おかずとしてほぼ毎日食べている肉や魚はもっとかかります。それだけの手間ひまをかけてやっとできあがった食材を、「あって当然でしょ!」というような想いで食べられたら、作った側としてはうれしくもなんともありません。むしろ目の前でそんなふうに食べられたら、「あんたに食べる資格はない!」といって下げてしまうでしょう。
給食費を払わない親御さんのうち、30%は経済的理由でどうしても払えないということですが、60%は、お金があるのに払わない、食い逃げ同然の行為を平然としているわけです。
でもって、これはいろいろ聞いた話もありますが、そうやって意図的に給食費を払わない親御さんに、どういうことなのか、学校に来て説明してほしいと、学校側が求めると、ベンツに乗ったマダム系の親御さんが出てきて、「何が悪いの?」と、給食費を払わないことに足して何の罪の意識もない行動をする、というケースもあるそうです。
さて、給食費の未納によって、給食に充てる財源が不足するわけですから、そこをどうカバーしているかというと、
給食の質を下げて何とか財源に収まるようにしている、学校や教育委員会などを経由して財源をまわしてもらい、何とかやりくりしている
などの方法が取られているそうです。
どうでしょうか?
「給食費を払っていないうちの子供にまで給食を与えていいのでしょうか?」
愚問ですが、こんなことを思います。
子供が払っているわけではないので子供に罪をかぶせるのはいかがなものか?
確かにそのとおりです。かといって、払わない親御さんをこのままにするわけにはいかないわけですし…。今、払わない親御さんに対して、未納金額に相当する財産差押えを行うなど、対策を図っているそうですが、それにしても金額が大きくて、なかなか進まないのも現状だということです。
法的措置も必要かもしれません。