シーズンⅡ「巴御前」第8話「参謀・覚明」の巻(2020年12月8日・放送)
2020年12月8日
平安時代末期の僧であり、義仲の軍師的存在とも知られる覚明。
今回は、人生が謎と伝承に彩られている覚明をご紹介します。
このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。
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(覚明)「きみょうちょうらい……むにゃむにゃ……
平家と戦うのは、天皇や朝廷を助けるため。そしてなにより庶民のため。
ぜひとも、この戦(いくさ)、勝たせてください」
木曾義仲の軍師のような役割だった覚明。
埴生八幡宮での戦勝祈願文をしたためた祐筆(ゆうひつ)つまり、書記官として知られています。
しかし、その生涯は謎だらけ。
今回は、「平家物語」や「源平盛衰記」に登場する覚明についてご紹介いたしましょう。
治承4年、平家の横暴に対して、以仁王が平家追討の令旨を発し、全国の源氏に挙兵を促しました。
この動きに呼応したのが、奈良興福寺の僧、新救得業(しんぎゅうとくごう)。
後の覚明であります。
(覚明)「清盛は平氏の糟糠(そうこう)、武家の塵芥(じんかい)」
平清盛を侮辱して、仲間の僧兵たちに平家打倒を促したのです。
これを知った清盛。
覚明を捕らえようとしますが、覚明は顔に漆を塗り、人相を変えて、逃れます。
やがて、覚明は、木曽谷にたどりつき、そこで義仲の書記官として仕えることとなりました。
平家打倒に立ち上がった義仲は、各地で平家軍と戦い、快進撃を続けます。
寿永2年、越中国に進軍した義仲は、倶利伽羅峠の麓に、源氏の守り神である八幡神を祀る埴生八幡宮が鎮座していることを知ります。
義仲は、覚明に戦勝祈願文をしたためさせ、八幡宮に奉納したのであります。
京の都に進軍し、平家を都から追いやった義仲。
政(まつりごと)に慣れていない義仲は、朝廷との交渉を覚明にゆだねることに。
しかし、朝廷との関係が悪化する中、覚明の姿が京から消えてしまいます。
一体、どこへ……。
この時、覚明は、備後国(現在の広島県)に向かい、平家との和平交渉を試みたとも言われております。
しかし、時すでに遅し。
源頼朝の軍勢が鎌倉から押し寄せ、義仲は討ち取られてしまいました。
(覚明)「義仲殿……無念……」
義仲討ち死にの後(のち)、箱根に潜んでいた覚明。
頼朝から逃れるため、比叡山に行き、浄寛(じょうかん)と名乗るようになりました。
比叡山で、親鸞と出会った浄寛、親鸞に弟子入りし、その後、西仏(さいぶつ)と名を変えます。
信濃国に康楽寺を建立し、熱心に布教に努めた西仏は、97歳で亡くなりました。
波乱万丈の人生を送った覚明。
何度も名前を変えながら、歴史のところどころに登場しますが、いまだ、謎に包まれた人物でございます。
<おわり>