シーズンⅡ「巴御前」第10話「敵方である平家」の巻(2021年2月9日・放送)
2021年2月9日
「源平合戦」でよく知られているように、源氏と平家とが争っていました。
木曾義仲は源氏の生まれで、源氏側に加戦しておりましたが
今回は、義仲の敵方である平家についてご紹介します。
このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。
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みなさま御存知の通り、「源平合戦」は源氏と平家との戦いでありました。
木曾義仲は源氏の生まれ。
源氏方として平家との戦いに加わることになります。
今回は、義仲の敵方である平家についてご紹介します。
まずは、平家一門の全盛を築いた平清盛。
庶民から反感を買い、頼朝や義仲が平家追討に立ち上がります。
清盛は、義仲よりも、源氏の嫡流である頼朝に警戒心を抱いておりました。
そこで、鎌倉に大軍を送りますが、「富士川の戦い」で頼朝に敗北。
その後、病死してしまいます。
亡くなる直前には、頼朝の首を討ち取り、自分の墓に供えるよう遺言するほどの執念。
直接、清盛と刃を交えることのなかった義仲。
これは、義仲にとっては幸いだったのかもしれません。
次は、平維盛。
維盛は清盛の嫡男 平重盛の息子として、将来が有望視されておりました。
しかし、「富士川の戦い」で、水鳥の羽音を夜襲と勘違いして、戦う前に逃亡するという大失態を犯してしまいます。
清盛の死後、北陸から進軍してくる義仲を討てとの命令が。
(維盛)「今度こそは勝つぞ!」
汚名返上と、十万の大軍を率いて出陣。
しかし、義仲の「火牛の計」により敗れてしまいます。
二度も大軍を率いながら、鳥と牛に敗れた維盛。
戦には弱かったようでございます。
最後は、清盛亡き後、平家一門を率いた平宗盛。
京の都で、後白河法皇のご機嫌取りをしていた宗盛。
義仲の進軍を聞き、慌てて都を焼き払い、西国へ逃れます。
その後、義仲から、和平交渉の申し出があった時には、ここぞとばかりに喜んだそうです。
しかし、平家の武闘派が反対し、和平は実現しませんでした。
和平が成立していたら、「義仲・平家連合軍」と鎌倉方の戦いとなっていたかもしれません。
義仲亡き後、義経が壇ノ浦で平家を撃ち破り、長く激しい源平の争いが終わりを告げました。
結果、生まれたのが、日本全国に残る平家の落人伝説。
富山県では「五箇山」で落人伝説が語り継がれております。
倶利伽羅峠の戦いで敗北した平家の将兵たちは都へ戻ることができず、山の中に隠れ住んでおりました。
しかし、時は源氏の世である鎌倉時代。
平家の末裔たちは帰郷の望みを断たれてしまったのでした。
「こきりこ」や「麦屋節」などの民謡。
そこには、平家の末裔の想いが込められている、とのことであります。
<おわり>